細川ガラシャと高山右近
2023年10月ですが大河ドラマ「どうする家康」もいよいよ天下取りへのクライマックスに近づいて参りました。徳川家康と石田三成が対立を深めていき、ついには戦になってしまいます。有名な戦!関ヶ原合戦ですね。そこに巻き込まれたのが細川ガラシャさんこと、明智光秀の三女のタマさん。ガラシャさんとフィリピンパブ嬢と高山右近さん何の関係でしょう?今日は歴史と重ねての記事です。
細川ガラシャ
タマさんは細川忠興さんと結婚したので明智玉さんから細川玉さんになりました。そのあとにお父さんの明智光秀の謀反(本能寺の変)があったので、結婚後のタマさんはまぁまぁ大変なその後を送っておりました。そんなこんなで夫(忠興さん)から、お友達(高山右近さん)の話のカトリックに興味を持ち後に洗礼をうけます。そんな中、関ケ原の合戦が始まります。タマさんは夫が徳川家康側につき出陣するため大阪に残ります。西軍の石田三成はタマさんを人質に取り夫の忠興さんが西軍にくるように仕向けようとします。タマさんは人質になる前に命を絶つことをきめます。辞世として「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」と残しております。

大阪在住のフィリピン人、フィリピンパブ嬢が多く集まるこの教会は大阪府大阪市中央区玉造2丁目24−22にあります。この教会には細川ガラシャと高山右近の像があります。この教会のすぐ近くには細川忠興の屋敷がありました。つまりガラシャさんはその場所で最後を日の迎えます。武家時代の嫁の鑑としてその後の語られていきます。住所の玉造の由来は細川玉とは関係なさそうですが、フィリピンの人にはタマさんが作り上げた場所のように映っているかもしれませんね。

細川ガラシャに影響を与えたと言われる高山右近さん。実はキリスト教の中でも偉い人なんです。福者といい聖者につぐ地位の方なんですね。右近さんはなんとフィリピンのマニラで亡くなっています。フィリピンの方でも細川ガラシャさんより高山右近さんを知っているという方が多いですね。なぜならフィリピンのマニラには右近さんの像があります。信仰心のとても強い方で決して信仰を捨てなかったため日本から追討されマニラに送られました。そこでも信仰をすてず生涯を閉じたこともあり、2017年に大阪城ホールで列福式が行われました。右近さんも大阪の大名でした。この二人の像やステンドグラスで見ることができるのが聖マリア大聖堂カトリック玉造教会です。


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フィリピンパブ嬢のほとんどはカトリックです。キリスト教の中のカトリックですが、彼女たちにキリスト教なのってきいてもキョトンとしてしまいます。きっと普段からはカソリック(カトリック)として意識しているんでしょうね。貧しい者に施しを与えるという感覚が根強く、我々日本人から見ると貧しい人がもっと貧しい人を助けるということに少し違和感を覚えます。自分を犠牲にして人を助けるというより自分にとって余分(必要以上のもの)があれば人に施すのが日本人の感覚ですよね。食べ残した食事を持ち帰り小さな子供にあげたり、持ち帰ったものを家族に渡したりすることはよく目にします。つまり物をあげることに抵抗がないということは、もらうことに抵抗がない人もたくさんいます。道端などには小さい子供から大人まで。宗教は普段の生活や法律に大きな影響を与えています。出稼ぎに来て家族に仕送りをして自分の生活が苦しくてもそれが心の安らぎとなっているんです。家族の生活が向上することが幸せ、家族が一番。これがフィリピンです。お金のない出稼ぎフィリピーナはお金にゆとりのある日本人から援助してもらうことは恥ずかしいこととは思ってないんです。逆にお金が余裕がない人にたかる、またお金がないから縁を切るなどという事もしません、現にフィリピン人に養ってもらっている日本人は日本国内にもフィリピン国内にも毎年どんどん増えております。ほんとうに皆な優しいんです、ただ家族が一番・自分が二番なのでお客様や彼氏などからみると理解できないことがあると思います。


